2015年12月18日・19日 河北新聞『話そう原発』記事掲載

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★20151218 河北新報朝刊に「わかりやすいプロジェクト」の取組の様子が紹介されました。二回シリーズの第一回
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原発事故の発生から4年9カ月。東北は、廃炉や再稼働といった原発をめぐる問題を話し合っていくことを避けては通れない。国会事故調の報告書と向き合い「なぜ」を考え始めた若者たちの活動を紹介する。(原子力問題取材班)

◎国会事故調報告書を読んで(上)

 スイス・ジュネーブに世界各国から集まった約130人を前に、日本の若者3人が仲間たちを代表して訴えた。
「事故は防ぐことができた」。東京電力福島第1原発事故について、考え、話し合い、たどり着いた結論の一つだった。
今月4日にあった国際赤十字・赤新月社連盟総会の関連行事。福島県郡山市の安積高2年の今園柊香さん(17)と関東の高校生、大学生の3人がチームで参加した。
タイトルは「What Shall We Change?」(何を変えるべきか)。世界に伝えるべき原発事故の教訓を英語で発表した。
3人は国会事故調査委員会の報告書を基に事故の背景を討論する「わかりやすいプロジェクト」のメンバーだ。

<途中諦めも>
プロジェクトは2012年9月、事故調で調査統括を務めた経営コンサルタント石橋哲さん(51)=川崎市=らが始めた。福島や東京の高校生らが毎年、各地で議論を重ねている。
例えば9月18日には福島市の福島高で、1、2年生13人が報告書を読み込んだ。「第5部 事故当事者の組織的問題」に関して疑問や意見を出し合った。
旧原子力安全・保安院は津波の危険性を認識していたが、電力業界の抵抗を抑えきれず、指導や監督を怠った。報告書は「行政の不作為」と断じた。
「なぜ誰もおかしいと言い出せなかったのか」「なぜ人の命より組織を守ることを優先するのか」。生徒からは当然のように疑問が湧き上がった。
議論を進めると「仕事を辞める度胸がないと不正を指摘できない」「無関心の方が得だ」「大人の社会はおかしい」。ついには「国は頼りにならない」「大人になりたくない」と諦めの言葉も出始めた。
「国や政府は誰の意思で動いているのかな」。石橋さんの一言が議論の流れと雰囲気を変える。

<教訓世界へ>
再び考える生徒たち。「私たち?」「人災の責任は自分たちにもあるってこと?」。自らに問い掛けるような声が複数上がった。
組織の利益や上下関係、周囲の雰囲気、多数意見に流される。そうした習慣が事故を防ぐ芽を摘んでしまった。生徒たちが導き出した結論だ。
同じような環境は学校や日常生活にもある。少数意見に耳を傾け、本音で対話を重ねることが、原発事故のような悲劇を繰り返さないことにつながる。
各地の若者たちが討論を経てまとめた教訓を、今園さんら3人はジュネーブで発表した。
締めくくりに選んだのは赤十字のスローガン。「私たちの世界をよくするのは、あなたたち一人一人の行動です」。原発事故を「わがこと」と捉え、考え、話し合う大切さを世界に発信した。

[国会事故調査委員会]立法府が行政府を監視する目的で、国会が憲政史上初めて設置した第三者による独立調査機関。2011年12月に委員10人で発足。事務局も含め行政府の官僚はゼロ。6カ月間で2000点以上の資料、1000人以上の関係者を調べ、1万人以上の被災者や約2400人の原発作業員にアンケートを実施。12年7月、事故を「人災」とする報告書をまとめた。

http://www.kahoku.co.jp/tohokune…/201512/20151218_61015.html

 

★20151219 河北新報朝刊に「わかりやすいプロジェクト」の取組の様子(20150927開催の『郡山編』の様子)が紹介されました。二回シリーズの第二回。

◎国会事故調報告書を読んで(下)

 「きょうは皆さんに国会事故調査委員会の委員になってもらいます」。経営コンサルタントの石橋哲さん(51)=川崎市=が呼び掛けた。
東京電力福島第1原発事故を検証した国会事故調の報告書を基に事故の背景を考える「わかりやすいプロジェクト」。郡山市のイベントスペースであった9月27日の「郡山編」には、地元の安積高をはじめ福島県内の高校生や地域住民ら14人が参加した。
石橋さんは国会事故調の事務局を担った。事故調が2012年3月に実施した参考人聴取のビデオを見て、国民、世界の人、未来の人の立場からどう映るのか。客観的な事実から考えるのがこの日の狙いだった。

<国民の財産>
国会事故調は12年7月、報告書を衆参両院議長に提出した。その2カ月後の9月、石橋さんら有志が始めたのが「わかりやすいプロジェクト」だ。
「報告書は国民全体の財産だ。それがなかったものにされる」という危機感があった。
報告書は規制当局を監視する常設委員会の国会設置など幾つもの貴重な提言を残した。だが、国会は提言を実現させる計画書すら作ろうとしなかった。報告書の提出当時、政府は既に「収束宣言」を出していた。
「原発事故はなぜ起き、どうすれば防げたか。これから何をするべきか。一人一人の問題として考えるきっかけをつくりたかった」。石橋さんはプロジェクトに託した思いを力説する。
福島高(福島市)や灘高(神戸市)といった高校や大学、社会人を対象にワークショップや講義を続けてきた。活動は「手弁当」が基本。「お金に色はないが、においはある」と、政治色のある団体などからの寄付は受けない方針を貫く。
企画も工夫。東京電力役員や規制当局、被災者らの立場になって考える「なりきりディスカッション」や報告書の輪読会などを実施してきた。

<まず考える>
郡山編で国会事故調委員になった生徒たちが見たのは、質問に誠実に答えない規制当局の元トップの姿。組織防衛に固執しているようにしか映らなかった。
「どうしてこうなったのか」「なぜ保身に走るのか」と生徒たち。「集団に属している安心感が根底にありそう」「自分たちにもあるよね」
「委員長コメント作成」という当初目標に至らなかったものの、石橋さんは無理に軌道修正することはなかった。自主性を引き出すことの方こそ大切だからだ。
原発事故という未曽有の「人災」から社会は教訓を得たと言えない。東芝の不正会計、くい打ちデータ改ざん、血液製剤の不正製造…。いずれも組織の腐敗が問題の根底に巣くう。
「自分の頭で考えることが出発点であり、この国が生き延びるために不可欠な『イノベーション』(新機軸)への第一歩につながる」と石橋さん。原発事故を基に考え、話し合う意味はそこにあると信じている。
http://www.kahoku.co.jp/tohokune…/201512/20151219_63023.html