過去の活動履歴
2014年2月25日 国際シンポジウム座談会で黒川先生がイラスト動画をご紹介くださいました
2014年2月18日 品川女子学院中等部において、出張特別授業を行いました
『避難弱者』(2013年8月東洋経済新報社)の著者でプロジェクトメンバーの相川祐里奈が中等部の皆さんと一緒に将来の教科書に載るであろう福島原発事故を通じて何が学べるのかを一緒に考えました。 授業の最後に行ったリフレクションでは、「これまでの私は、福島の原発事故は自分のあまり関係のないことだと考えていた。今は、被災者ではない私たちも真剣に向き合って事故について知っていかなければいけないと考えている。そこで、私は、原発についての本や資料を自主的に読んだり、自分が関わることに積極的に参加する。」といった生徒さんの声を聞くことができました。 【日時】 2014年2月18日(火) 16:00~17:30 【場所】 品川女子学院(東京都品川区北品川3-3-12) 【対象】 中等部1・2年生 【プログラム】 講演 『避難弱者を取り巻く諸問題』 対話 『事故の教訓をどう学び、生かすのか?』 詳細はこちらから 参加者の声はこちら
2014年2月13日 第五回輪読会を行いました
2014年2月10日 2月21日にメンバーの相川が避難弱者をテーマに筑波大学で講演します
2014年2月7日 人事院第125回行政フォーラムの講演において黒川先生がイラスト動画をご紹介くださいました
2014年1月30日 第四回輪読会を行いました
2014年1月30日 PRESIDENT(プレジデント)2014年2.17号にわかりやすいプロジェクトのリフレクション力が掲載されました
2014年1月16日 第三回輪読会を行いました
2014年1月15日 第1回オープンエネルギーシステム国際シンポジウム(OES)でイラスト動画が紹介されました
2014年1月9日 イラスト動画英語版の画面上の漢字表記に「英語」表示が挿入されました
2014年1月7日 ハーバードビジネススクールの学生30人程度対象に、 黒川先生の講演が行われました
2014年1月6日 わかりやすいプロジェクト国会事故調編 高校生チームが発足しました
2013年12月26日 第一回女子高校生未来会議を協賛いたしました
2013年12月26日 マガジン9で取り上げられました
2012年12月19日 第二回輪読会を行いました
2012年12月5日 第一回輪読会を行いました
2014年12月16日 黒川清氏が台湾でイラスト動画6編を紹介して下さいました
2013年12月13日 希望大学で行った講義が動画配信されました
2013年11月28日 日本テレビ NEWS ZEROで取り上げられました
2013年11月16日 「生き方塾」公開講座で講演させていただきました
2013年11月7日 麹町アカデミアで講演
2013年11月3日 福島県社会福祉協議会主催シンポジウムの後援をさせていただきました
2013年10月31日 JAPAN TIMES紙面と10月30日付のWeb版に掲載
2013年10月31日 イラスト動画の英語版をネット配信しました
- 国会事故調ってなに? What is the NAIIC? http://youtu.be/Ki6vCEhjAZc(2分11秒)
- 原発事故は防げなかったの? Was the nuclear accident preventable? http://youtu.be/DJVRBkMPlz4(2分52秒)
- 原発の中でなにが起こっていたの? What happened inside the nuclear plant? http://youtu.be/K4IrZY269ro(2分27秒)
- 事故の後の対応をどうしたらよかったの? What should have been done after the accident? http://youtu.be/dtJ8gvnKp-E(3分15秒)
- 被害を小さくとどめられなかったの? Could the damage be contained? http://youtu.be/O-ghbTy_HvY (3分02秒)
- 原発をめぐる社会の仕組みの課題ってなに? What are the issues with nuclear energy? http://youtu.be/0IHL_GIgv1o(2分38秒)
「福島原子力発電所事故は終わっていない。不断の改革の努力を尽くすことこそが国民から未来を託された国会議員、国民一人一人の使命であると当委員会は確信する。」 国会事故調報告書は2012年7月に国会に提出され、世界的に高い評価を得ています。 私たちは事実をまっすぐに見つめて対話を積み重ねること、そのうえで未来に関わる選択と意思決定を行うことが、日本の未来にとって大切だと考えています。 「わかりやすいプロジェクト (国会事故調編)」( / ) は、社会人、学生有志により2012年9月に発足しました。勉強会やワークショップ、講演会などを開催し、議論や対話を重ねています。
【ご支援のお願い】
私たちは政治的中立を保つため、特定の政党・議員からの資金援助を受けておりません。 これまで、ストーリーブックやイラスト動画の制作と並行して、勉強会やワークショップ、講演会などを開催し、議論や対話を重ねてまいりました。今後も活動を継続したいと考え、現時点では任意団体ですが、ファンドレイズに向けた諸準備を行っております。
【本件連絡先】
わかりやすいプロジェクト(国会事故調編) / Email: simple.project2012@gmail.com
2013年10月1日 わかりやすいプロジェクトイベント参加者の「声」を集めました
2013年9月20日 朝日新聞(朝刊・4面)に掲載
2013年9月20日 福島高校の授業でお話しさせていただきました
2013年9月14日 朝日新聞(朝刊・16面)に掲載
2013年9月14日 東京新聞(夕刊)に掲載
2013年9月2日 学生有志が事故調報告書の解説をイラスト動画で作成
学生有志が事故調報告書の解説をイラスト動画で作成 ~ わかりやすいプロジェクト (国会事故調編) よりネット配信~
わかりやすいプロジェクト (国会事故調編) ( / )は「福島原発事故では何が起こったのか」「福島原発事故の教訓とは何か」をひとりでも多くの方たちと共有することを目指しています。 このたび学生有志の協力を得て、国会事故調報告書の要点を「短時間で概観できる」ことを目指し、 イラスト動画 (6篇) を制作し、当プロジェクトのホームページ上に公開いたしました。 英訳版 (現在作成中) 作成次第リリースしてまいります。ぜひご活用ください。
2013年8月30日 相川祐里奈『避難弱者』出版
【書籍案内】
ーーおらがこんなんだから、みんなおらのこと置いて逃げんだべ あの時、福島原発近くの老人ホームで何が起きたのか? 自らが被災者であり、放射線の恐怖と戦いながら、 高齢者の命に寄り添った介護士たちの葛藤と奮闘を描いた衝撃の震災ルポーー 福島県内の介護施設20施設、のべ47人に取材。 「震災関連死」は防ぐことができなかったのか?災害大国、日本の防災計画の課題に切り込む。 「避難弱者」相川祐里奈著(東洋経済新報社) 全国の書店にて8月30日発売!アマゾンでも受付中。
わかりやすいプロジェクトに参加してます、元国会事故調事務局調査員の相川祐里奈です。 この度、著書「避難弱者」が東洋経済新報社より販売されることになりました。 3.11の東日本大震災、津波、原発事故という巨大複合災害では、避難や避難生活のストレスにより多くの方が「震災関連死」として亡くなっています。 このような死は防ぐことはできなかったのでしょうか? これまで3.11での介護施設や病院の避難については、マスコミで点々と取り上げられていますが、その情報が線と線で結ばれておらず、教訓という形で全国に届いていません。 この本では、著者が福島県内を回り、多くの避難した介護施設関係者に話を聞く中で浮かび上がってきた現場の生きた教訓をまとめています。 災害下で、介護施設の高齢者をどう避難させるのか? この問題は、過去だけでなく現在にも通ずる問題であり、福島だけではなく日本全土の問題であり、介護関係者に留まらず、高齢の家族をもつ私たちの問題でもあると思います。 ぜひ、この機会に本を手に取っていただき、 少しでもこの問題に興味をもっていただけると嬉しいです。 何卒、宜しくお願い致します。 ※ 本にかかる取材費は、福島県老人福祉施設協議会に寄せられた義援金から捻出されております。
2013年8月17日 毎日新聞社会面に掲載
2013年8月2日 わかりやすいイラスト動画ワークショップ
2013年7月26日 NHK WORLD NEWSLINE NUCLEAR WATCHにて報道
2013年7月19日 日経新聞社会面に掲載
2013年7月 勉強会
第1回勉強会
●日時: 2013年7月9日(火) 19:00~21:00 ●場所 政策研究大学院大学(GRIPS)4階4A研究会室 住所:東京都港区六本木7丁目22−1 ●内容: ・国会事故調が問いかけるもの(その1)〔講師:石橋哲さん〕 講義内容を見る(PDF) ・第4部 被害の状況と被害拡大の要因〔講師:相川祐里奈さん〕 講義内容を見る(PDF)第2回勉強会
●日時: 2013年7月17日(水) 19:00~21:00 ●場所 政策研究大学院大学(GRIPS)4階4B研究会室 住所:東京都港区六本木7丁目22−1 ●内容: ・第1部 事故は防げなかったのか ・第5部 事故当事者の組織的問題〔講師:鈴木宏和さん〕 ・国会事故調が問いかけるもの(その2)〔講師:石橋哲さん〕第3回勉強会
●日時: 2013年7月25日(木) 19:00~21:00 ●場所2013年4月21日 ダイアログ・イベント
- ワークショップのみ参加者:学生無料 社会人1,000円
- ワークショップおよび懇親会参加者:学生1,000円 社会人3,000円
■ 募集人数: 60名 ■ 主催: わかりやすい国会事故調プロジェクト ■ 共催: Team Naiic
Photos & Movies
ただ今準備中です。
参加者からの声
- 原発問題という霧の中にある課題は、マトリョーシカのようにどこまで進んでも本質にたどり着けないのかな、と思うようになった。だからこそ、(言い表しにくいけど)その問題を知る楽しさを知った気がした。その楽しさを、他の高校生、学生とシェアできればと思う。
- 読む前は、メディアや本で固定化された意見でしたが、読んだ後、今までの視点が一気にくずされ、より深く根本的な新しい視点が自分に加わりました。
- 個人的には、(対話の中で出てきた)”国民性はつくられたもの”という言葉が印象に残っています。他にも、そういう見方もあるのだと思ったことが沢山あって、視野が広がったかなと思います。
- 今日うまれた自分の課題としては、私が言っていることってすごく抽象的だなと思ったので、例えば「これから考えていかなければならない」でも、どのように考えていかなければならないのか具体化していくことが課題だなと思います。
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- 国会事故調報告書に対して、たくさんのことが書いてあってにぎやか、というイメージができた。
- 改めて、この事故の根の深さを思い知った。社会システムのあり方をどのように変えていけばいいのか?この組織的・制度的問題を変えていくには、参加者の言葉を借りるなら「霧」の中を進んで「霧」が晴れることはあるのか?とますます様々な情報を「知る」ことが重要であると思った。
- 新しいニュースを見聞きして、ビックリしたり、困ったりしなくなった。
- 50分の輪読と対話で、あっという間に同じ目線にたてることに高校生の可能性を再確認しました。
- 高校生である「立場」そのものが持っている未来志向のモメンタムの大切さ。
- 広く世代を巻き込むことが、対話の柔軟性をつくること、大人の意識付けにも関わること、こうした思いを強くしました。
- これまでの私は、福島の原発事故は自分のあまり関係のないことだと考えていた。今は、被爆者ではない私たちも真剣に向き合って事故について知っていかなければいけないと考えている。そこで、私は、原発についての本や資料を自主的に読んでみたり、自分が関わることに積極的に参加する。
- これまでの私は、日本の政府は原発の事故について、しっかりと対応していると考えていた。今は、政府がしっかりと原発事故を想定し、対策を取っていれば今回の事故を小さく抑えられたと考えている。そこで、私は、今回の事故の知識をもっと増やすために、話を聞いたり、本を読んだりする。
- これまでの私は、津波などで避難した人々はニュースなどでもたくさん報じられていたので、大変な思いをしていると知っていたが、福島の人たちのことはあまり伝えられていなかったので、そこまでではなかったと考えていた。今は、もっと福島の人々の事も考えていればよかったと考えている。そこで、私は、福島の被害についての本を読んでみたり、家に帰ったら、家族に話そうと思う。
- これまでの私は、内部被ばくは軽く済むと考えていた。今は、放射物質を吸い込むと想像以上に大変なことになるし、被ばくした後の指示をちゃんと出さなくてはならない、と考えている。そこで、私は、指示がちゃんといきわたるようにして、一人でも多くの人が病気にならないようにする。
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- これまでの私は、日本のメディアはすごく信用できるものと考えていた。今は、政府や東電などの発信は信用できない海外のメディアに同意と考えている。そこで、私は、少しでも海外からの信用を取り戻すために、少しでも外国の人に現状を教えられるようにする。
- これまでの私は、今後の対策についてあまり深く考えていなかった。今は、インターネットを見たり、本を読んだりして、正確な情報を得ようと考えている。そこで、私は、いつ震災が起こってもいいように備えようと思う。
- これまでの私は、原発事故は(正直に言って)終わっていないと思うが、遠いところで起こっていると考えていた。今は、遠いところで起こっていると言っても同じ日本で起こっていると考えている。そこで、私は、他人事のように情報を流すのでなく、何かできることが他にないか身近な人と話してみる。
- これまでの私は、原発事故後の世界からの日本の見方は、福島原発事故以前とあまり変わっていないと考えていた。今は、原発事故で、世界から見た日本のイメージがとても下がってしまったと考えている。そこで、私は、世界の人々が原発事故についてどう思っているのかを知り、これから日本はどうすれば良いのかを考える。
- これまでの私は、3.11後はみんなにちゃんとした情報を伝えようとする動きで、自由度は高まっていると考えていた。今は、自由度が低いということは、先進国として問題があると考えている。そこで、私は、自由度が高いであろう欧米と日本を比べて何が日本に足りないのか考えてみたいと思う。
- これまでの私は、自分が被害にあったとき、具体的な避難方法をどうすればいいのかと考えていた。今は、自分たちだけでなく、今からでも被災者の声をちゃんと聞き、人の苦しみを分かち合うべきだと考えている。そこで、私はパソコンや本などでもっと自分以外の人のことも考え、もっと原発事故を身近に感じる。
- これまでの私は、まず原発事故が起こった原因を知らなかったので、何で起こったのか詳しく知りたいと思っていた。今は、事前の訓練や対策が足りず、やらなかったから起こってしまったと考えている。それのせいで、今まだ困っている人、悲しんでいる人がいると考えている。そこで、私は、まず原発について本を読む。ニュースをちゃんと見てもっと原発について知り、自分が知ったことを家族や友達に話したいと思った。
- これまでの私は、原発が爆発してしまったから、福島の人は大変だなぁと考えていた。今は、他人事ではない、自分が福島に偶然いなかったので、ただラッキーなだけだったと考えている。そこで、私は、もう少し大きくなったら、自分で体験してその人たちのために行動する。
- これまでの私は、原発事故はもう終わったことだと考えていた。今は、原発事故の事で困っている人がいるのだとわかった。そこで、私は、困っている人たちのために、まず、原発の事について正しく知る。
- これまでの私は、ニュースでやっているのを見たりして、避難は大変そうだなぁと人ごとのように考えていた。今は、正確な情報をもっと早く、情報を必要としている人たちに伝えたら、震災関連死者の数とか、大変な思いをする人の数が少しでも減ったのでないかと考えている。そこで、私は、噂話は控え、正しい情報だけを流すようにしようと思う。
- これまでの私は、今現在は、震災の影響で亡くなっている人はいないと考えていた。今は、まだ震災の影響は大きく、震災関連死者数は増え続けていると考えている。そこで、私は、正確な情報を知り、正確に理解することで未来の災害に備えて万全の対策をする。
- これまでの私は、震災は自分には関係ないが大変だったくらいに軽く考えていた。今は、自分が被害に合わなかったのはただ運が良かっただけで、次に合わないとは限らないので、きちんと考えようと思う。そこで、私は、他人の事も考えるようにする。
- これまでの私は、自分の身近なところで大きな災害は起こらないと考えていた。今は、いつ何時災害が起こるかわからないので、自分に何かできることはないのかと考えている。そこで、私は、災害についての知識をたくさん持ち、突然何かが起こってもあせらず、自分から進んで行動できるようにしたいと思う。
- これまでの私は、震災について詳しく知らないが、誰かしらが解決してくれるだろうと考えていた。今は、他人事でなく、自分でも考えなくてはならない出来事だと考えている。そこで、私は、本やインターネットで震災について理解し、実際に現地へ行くなどして現地の人とも話をする。
- これまでの私は、政府はできる限りのことをしたと考えていた。今は、調査表をないがしろにしなくても良かったのではないかと考えている。そこで、私は、正しい情報を集める。
- これまでの私は、『教育』や『学び』は、いかに始めるか、そこにどのような制度が工夫が必要かを中心に置くばかりだった。今は、社会に広く知ってもらう、決めてもらうための『加工』のプロセスが実は社会的に重要だと考えている。そこで、私は、加工そのものが社会科学の営みだと思うので、まずはそれに努力する。
- これまでの私は、被爆の健康被害については勝利宣言可能と考えていた。今は、生活被害についての長期フォローが必要と考えている。そこで、私は、急性期についての報告書の続編が必要(世の中が事故の教訓を活かせたのか、その後の福島の状況はどうなっているか)を知ることが必要と思う。
- これまでの私は、教育はやや形式的、非現実的なものになりがちと考えていた。今は、本質を目指して改良すればよりよくわかると考えている。そこで、私は、本質的な教育に期待したいし、関わりたいと思い、行動する。
- これまでの私は、福島原発後の健康被害には深刻な健康被害が隠れていると考えていた。今は、この3年間では起きていないが今後はわからないと考えている。そこで、私は、どこがうまく行った対策であったのか?これから、どうなっていくのか?に注目、情報収集する。
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- これまでの私は、原発事故は左右イデオロギー対決に収束され、軽々しく口にできない、と考えていた。今は、逆にもっと話をする機会を持つべきと考えている。そこで、私は、勉強会の手法をもっと身近で実践する。
- これまでの私は、事故当時の福島の状況は陰謀論であると考えていた。今は、現実に起こったことでもあると考えている。そこで、私は、事実は何かを再び考える。
- これまでの私は、原発事故は避けられなかったものと考えていた。今は避けることができた人災だと考えている。そこで、私は、集団志向に陥らないように常に注意する。
- これまでの私は、組織的問題は自分の力では何も変わらない、と考えていた。今は、周りの意識を変えることならできると考えている。そこで、私は、自分から動き、何か変革を起こす人間になる。
- これまでの私は、自分に与えられている仕事があって、それを完璧にこなすことがまず大事と考えていた。今は、認識していたもの以外に自分のできること(あるいはやらなければならない役割があるのではないか)と考えている。そこで、私は、自らアンテナを張って探す。そして周りの人の役割についても考えるようにする。
- これまでの私は、組織とは最後には従わないといけないものと考えていた。今は危ない面もあるものと考えている。そこで、私は、組織を忘れて、一国民として物事を見る習慣をつける。
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- これまでの私は、事故の社会背景についての問題意識が深まっている日本人が少ないと考えていた。今は、少ないかもしれないが、認識を深め、実際の行動面でも頑張っている人もいると考えている。そこで、私はもう少し考える。
- これまでの私は、原子力発電は震災を機に考え方を変えれば、うまくガバナンスできると考えていた。今は、人間の考え方は容易に変わらず、また事故が起こってしまって対策すると考えているが、事故が再び起こることを許してはならない。そこで、私は、他人と議論したり、考えを交換したり、微力ながらも事故が起こらないようにする。
- これまでの私は、物事を判断する際の基準について、自身の経験や他人の意見に左右されがちだった。今は、自身の考えを今一度冷静に見つめ直すことが必要と考えている。そこで、私は、様々な意見を聴き、自分自身で消化してから判断していくよう心掛ける。
- これまでの私は、正しいと評価されることが正しいと考えていた。今は、正しいと思えることが正しいと考えている。そこで、私は、自らの価値尺度を磨くとともに、自らが判断する。
- これまでの私は、ちょっと疑問に思ってもまぁいいや、専門家が考えるでしょう(集団志向)と考えていた。今は、自分が知ろうとすることをさぼってはいけない、と考えている。そこで、私は、とりあえず、まず知るところから始める。
- これまでの私は、原発問題については身近に手に入る情報だけで危機的情報は終わったと考えていた。今は、事故はまだまだ終わっていないのだと考えている。そこで、私は、新しい角度の情報を集めるようにする。
- これまでの私は原発問題は、賛否いずれかを論ずることと考えていた。今は、主張を対立させるだけでなく、その前に共有するべきことがあるのではないか、と考えている。そこで、私は、なぜを追及する。
- これまでの私は、ただ、マインドセットだ!と言えばよいと考えていた。今はグランドルールに基づき、「なぜ」をお互いに深めたいと考えている。そこで、私は、なぜを追及、共有する。
- これまでの私は、スケールがあまりにも大きい問題なので、自分には関係ないと考えていた。今は、実際に起きた事故の真実を知って、無関心のままではいられないと考えている。そこで、私は、原発について正しい知識を得て、信頼できる政党や政治家に選挙で投票する。
- これまでの私は、原発に関心を持たず、自分とは関係ないと考えていた。今は、日本や世界で起きていることは、自分に関係していると考えている。そこで、私は、世の中で起きている事象について、問題意識を持って行動する。
- これまでの私は、原発事故は天災による事故だと考えていた。今は、このような事故で起きるリスクがあったにもかかわらず行動を起こさなかったことを知った。そこで、私は、このような事件が起きないように、この講義で知ったことを人々に発信する。
- これまでの私は、原発事故は東電や専門家が非常事態を想定できなかったことが問題だと考えていた。今は、問題の本質は私たち国民一人ひとりの視野の狭さや無関心からくる集団志向にあると考えている。そこで、私は、常に疑うことを忘れず視野を広げ続ける努力をする。
- これまで私は、防災は政府や企業がやるものであり、今回の災害はやることをやっていたが予想外の自然災害によって起きてしまったものだと考えていた。今は、予想できないことに対して防災対策をする難しさを知った。しかし、第三者からの視点や絶えず予防に関して改善していくことで防げる災害もあると考えている、そこで私は、まずは私の人生の中で、分かっている障害に対してできる限りのことを行い、未知の危機に対して客観的な視点をもち、予防する意識をもつことをする。
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- これまでの私は、世界で原発原発事故について関心が薄れていると考えていた。今は、日本人より世界の人々の方により鮮明に現状が伝えられていると考えている。そこで、私は、グローバルな考え方を持つために、まずは日本人として日本のことをもっと考えるようにする。
- これまでの私は、原発事故は津波のせいだと考えていた。今は、もしかしたら、耐震工事を怠ったせいで生じたのではないかと考えている。そこで、私は、全ての原発に対して耐震工事を行うことを提案する。
- これまでの私は、福島の原発事故は、地震から生じた津波による天災であると考えていた。今は、福島の原発事故は事前に予測し、対処することができたので、人災であると考えている。そこで、私は、今後いつ訪れるかわからない災害に向けて、まずは集団的思考からの脱却をする。
- これまでの私は、想定外の地震が起こったので、原発事故は不可避な事故と考えていた。今は、事前の指摘通りに対策していれば防げた事故だったと考えている。そこで、私は、今後の国会の取り組みから目を離さないようにする。
- これまでの私は、電力会社の想定不足と考えていた。今は国民一人一人の意識が薄かったと考えている。そこで、私は、事故のことを忘れないで、自分のこととして考える。
- これまでの私は、福島原発事故は自分の生活に直接関係のないことと考えていた。今は、国民の一人一人が考えなければならないことと考えている。そこで、私は、いろいろな媒体を通して、情報を集め、考えることをする。
- これまでの私は、原発事故は震災の影響により、万全な対策を取っていたにもかかわらず起こってしまった不慮の事故と考えている。今は、実際にはこの事故は人災であり、未然に防ぐことも、また速やかに非難することも行えたはずであり、ずさんな管理体制が招いた結果であると考えている。そこで、私は自分の住んでいる地域に影響を及ぼすと考えられる原子力発電所などの管理、安全対策についてきちんと考え、もし今後同じような震災が起きた際どのような行動をとり、避難するかを考える。
- これまでの私は、原発事故は地震と津波により引き起こされたと考えていた。今は、天災ではなく、人災であり、防ぐことができたと考えている。そこで、私は、後手に回らず、出来ることはその場でやり、様々な起こりうる事態を想定する。
- これまでの私は、原発事故は設計ミスから起きた単純な事故だと考えていた。今は、日本に深く根付く悪しき集団行動が本質の原因だと考えている。そこで、私は、まずは自分が所属する集団にそのような状況が起きてないか疑問視する。
- これまでの私は、原発事故はある程度仕方がない、天災によるものと考えていた。今は、原子力発電所の強化を先延ばししていなかったら防ぐことができた。あるいは、ここまで深刻な事態になっていなかったと考えている。そこで、私は、多少の危険の可能性を示されたら、対策をすべきだと考える。このことは今後の生活を送っていく上でも言えることだろう。備えあれば憂いなし、と言う様に常に最悪の事態を想定しながら行動する。
- これまでの私は、日本人の責任として原発について真剣に考えなければならないと思いつつ、どこか他人事で、私一人が意見を持ったところで何も変わらないと考えていた。今は、周囲の意見に流されることなく、まずは、日本に住む全員が、原発に対する意見を持ち、今後の日本のあり方について皆で考え、反映させる努力をするべきだと考えている。
- これまでの私は、リスク管理について、何が起こった後の対応法を考えれば良いと考えていた。今は、問題を未然に防ぐこと、そのために集団思考から脱却することが大切だと思う。そこで私は集団内部だけではなく、外部からの見え方を意識して意思決定するよう心がける。
- これまで私は原子力発電所は安全であり、事故等おこらないと考えていた。今は、100%安全じゃなく、事故は起こりうるものであると考える。そこで私はそもそも電力を無駄にせず、節電する。
- これまで私は、日本は阪神淡路大震災後に地震が起こることを想定して耐震工事や避難訓練に力を入れていると考えていた。今は、まだまだ地震によるリスクを抑えることをはできていないと考えている、そこで私は、リスクをなるべく抑えて生きることにする。
- これまで私は、311に衝撃をうけ、やはり自然災害というのは防ぎようはないと考えていた。今は、恐ろしい自然災害でも事前の備え、準備で被害は減らせると考えている。そこで私は、発生予測が不可能な災害に対して、自分の意識を変え、万が一の備えや準備をする。
- 避難について、これまで私は、認識が甘く、避難はあまり重要と考えていなかった。今は、事前の準備や計画が大切であり、被害は減らせると考えている、そこで私は、防災グッズを揃え、避難ルートを確認する。
- これまで私は、国内の報道を見比べることですべての視点を把握できると考えていた。今は、国外から見た冷静な分析こそ、より真実に近いのではないかと考えている、そこで私は、BBCなどから他国の目線で報道を見るようにする。
- 日本の報道についてた。今は、ほかから情報を与えられるのを待つのではなく、手に入れるために自ら動かなくてはならないと考えている、そこで私は、少しでも関心を抱いた出来事があれば、それについて調べ、自分の見解を話せるようにする。
- これまで私は、全ての情報は提供されていると考えていた。今は、私たちが知るべき情報がまったく提供されていないと考えている、そこで私は、日本メディアだけではなく、海外のメディアも利用し、世界と日本を知ることをする。
- これまで私は、日本政府は国民に奉行する組織と考えていた。今は、保身的な組織と考えている。そこで私は、日本に適切な政府を考え投票する。
- これまで私は、議員や学者など選ばれた頭の良い人たちが政治や行政を決定し、他人事にするのではなく、自分の頭で考え意見をもたなければならないと考えていた。今は、多角的な視点を持ちつつ、情報を沢山集め、自分の意見をもつことにする。
- これまで私は、国の言うことが絶対だと考えていた。今は、自分自身で情報を確認しようと考えている、そこで私は、自分の手で情報収集する。
- これまで私は、政治、教育は、庶民には届かない次元のものと考えていた。今は、人の個性をなくし標準化をすすめるものと考えている、そこで私は、日本の政治、教育方針が正しいものか判断する。
- 日韓関係について、これまで私は、日本が過去にしていることを韓国が引きずっていると考えていた。今は、韓国と日本の関係にはそれだけではない何かがあると考えている。そこで私は、日韓の報道を把握し、韓国人が考える日本像を知る必要がある。
- これまで私は、国の問題などは国が専門家や政治家が解決していくことが当たり前で国民は全く関与できないと考えていた。今は、その考えは集団思考の虜になっていることで生まれたと知り、そこからぬけだすことが未来の結果を大きく変えることができるのではないかと考えている。そこで私は、自明の世界を一度ぬけだして、ものごとに取り組み、自分だからこそできることをはないか、つねに探すことに専念する。
- 消費税増税について、これまで私は、信用できない政府に稼いだ金を渡すなんて大反対と考えていた。今は、増税理由をみて本当に実現させてくれるなら増税もありと考えている。そこで私は、消費税導入した当時の日本の現状を調べ、もし混乱があったならそうならないように、あらかじめ対策をとりたい。また増税後の政府の動きをチェックし、他国と比較したい情報伝達について、これまで私は、日本における組織の情報伝達は円滑に行われていると考えていた。今は、組織の壁があり、なかなか大切な情報伝達が行われていないと考えている。そこで私は、メディアで伝えられていることをうのみにせず、自力で正しい情報を得られる力を身につけることをする。
- 情報伝達について、これまで私は、日本はメディアや政治は国民に情報は隠すことはないだろうと考えていた。今は、世界のさまざまな國で情報が国民に伝わりにくいとされているところを私たちは悪くいうことはできないだろうと考えている。そこで私は、正しい判断ができるように、日本のことをもっと勉強し自分自身、どんな状況でも冷静に正しい情報を伝えられるよう心がけたい。
- 情報伝達について、これまで私は、疑うことで自分の考えを持つようにしようと考えていた。今は、「疑う」というよりも「何が正しいのか」を再重用すべきであると考えている。そこで私は、さまざまな視点を持てるよう、同じ事象を異なる立場から定点観測をする。
- これまで私は、日本のイメージを授業で取り上げられた自己→自己イメージと考えていた。今は、事故後の日本の課題に自分自身が向き合い、他者→自己イメージを日本の姿であると考えている。そこで私は、集団思考から抜け出し、自己で考えて実行する力をつけ世界的な思考を身につけるようにする。
- 今回の講義を通して私は考えが変わりました。今、日本は東京オリンピック開催決定や富士山の世界遺産登録など華やかなイメージが先行しており、二年前におこった関東大震災、福島の原発問題が解決する方向へ進んでいると勝手に思い込んでいました。しかし、日本に対して華やかなイメージを持っているのは日本人だけで、外国は日本に対して福島原発の事件が起こったことに驚いており、震災後も復興に苦しんでいるというような日本人とは全く異なるイメージをもっていたことに私は驚きました。このようなイメージの違いは、日本人の「思い込み」によって起こったものであり、今回の経験をいかして「思い込み」を抜本的に改革しなければならないと思いました。客観的に日本を見ることで、日本のありのままの姿を見て現状を知り、自分が何をするべきか考えて行動することが必要だと考えました。
- これまで私は、日本は、平和で前向きな国と考えていた。今は、虚像と考えている。そこで私は、本当の日本を明らかにする。具体的には、自分自身で外の世界から、日本という国を見直す。悪い点は全て認める、そして改善できるよう務める。良いことも悪いこともはっきり言える世の中に変える。
- 事故の教訓について、これまで私は、福島原発事故は年々終息し、近いうちに福島の町は活気を取り戻し、これからは原発は安全に運転させなくてはならないと考えていた。今は、福島原発の事故は人災であり、未然に防げたものであった。そしてこれからの日本の原発、世界各国の原発の是非について原発の未来自体を見直さなくてはならないと考えている、そこで私は、原発について考え直さなくてはならない今、原発についてより深い知識を持ち、もし原発をもつ国にしたいのなら、自分がその近くに住む前提で物事を考え、原発以外の全ての物事についても軽率に考えるのではなく、ハイリスク・ハイリターンの原則を見直し、日本に住む一人として意見を持って活動する。
- これまで私は、大震災の混乱は、政府と東電の共有が足りなかったからと考えていた。今は、共有がたりなかったのではなく、共有の仕方が悪かったと考えている、そこで私は、共有の仕方「どうしたらうまく伝わるのか」を考え行動する。
- 危機管理について、これまで私は、危機を防ぐことが何よりも大切だと考えていた。今は、未然に防ぐことはもちろん、事後の危機を最小にするための準備が今の日本人には足りていないと考えている、そこで私は、国の一員として日本の考え方や弱いところに目を向け、少しずつ考え方を改めていく。
- これまで私は、国の東電の対応がいいかげんであることは大人の責任であり、自分には非がないと考えていた。今は、2年後に私が社会へ出てから起こる国の問題は大人であり、選挙権で意思表示できる自分の責任であると考えている、そこで私は、これから起きる問題に対し、自分の専門外であることにも積極的に意見をすること、そして選挙等を通して、社会に対して責任をもつ。
- これまで私は、天災は人間の力では防ぐことも抑えることもできないどうしようもないものと考えていた。今は、天災が起こる前から危険を察知し、無理のない都市形成を行い、十分な避難訓練をすることで被害を抑えることができると考えている、そこで私は、日頃の生活から天災が起きた際の避難経路を確認し、自分に降り掛かる危険は自分で防ぐことにする。
- これまで私は、東日本大震災は自分としては関係ないと考えていた。今は、日本人という集団に属しているという関係性があると考えている、そこで私は、集団思考を改めて考え、行動する。
- これまで私は、3.11は、公に対して語られないタブーであり、忘れられたもの、東北だけ被害を受けていると考えていた。今は、国民全員が正しい事実を知らなくてはならない。311の教訓をなおざりにすることは将来的に自分たちの首をしめるので、将来伝えていかなくてはならないと考えている、そこで私は、原発問題に関する講演会やボランティアに参加したい、なかったことにされかけている事実を握り起こしたい、真実を語り継ぎたい。
- 福島の原発の終息の実態や海外からの日本への視線について、これまで私は、石橋さんがお話ししていた通り、何の根拠や考えもなく自分の関わりのあった表面部分しか見ていなかった。原発についてももう解決しているようなものと考えていた。今は、集団思考の愚に陥っていたことを自覚することができた。また、原発事故のことのみに限らず、様々な面で集団思考や政府などの恣意にただ従うだけではなく、常に思考するべきであると考えている、そこで私は、様々なことに興味関心をもち、アンテナをつねにはることで広く情報を集め、実行できることにはとにかくチャレンジしてみる。
- これまで私は、行政は東電へ迅速な指示が出せていなかったと考えていた。今は、東電が行動を素早く起こせていなかったのが状態悪化の原因と考えている、そこで私は、これからの人生において、情報共有を速く正確に行い、よい方向に向かっていくようにする。
- これまでの私は、原発は安全と考えていた。今は、対策がしっかりとなされていないと安全ではないと考えている。そこで、私は、どうすれば安全に原発を稼働させられるのか、また原発の代わりになるようなものはないのかを考える。
- これまでの私は、原発事故の原因は津波による「天災」と考えていた。今は、事前の防災意識の低さが招いた「人災」と考えている。そこで、私は、二度とこのようなことが起こらないように防災準備をしっかりする。
- これまでの私は、東電事故は、自分の力の及ばぬ所だから考えても仕方ないと考えていた。今は押し付け思考をやめるべきだと考えている。そこで、私は、課題を自分の元に引き寄せ、小さなことから解決しようとする。
- これまでの私は、福島原発爆発事故は突然の大地震で対策が遅れ、もう少し準備や対策がなされていれば防ぐことができた自然災害であると考えいた。今は、準備・対策が全く不十分であり、国全体が原発に対してもっと真剣になっていれば完全に防ぐことができた事故(人災)であると考えている。そこで、私は、福島原発事故の実態をもっと多くの人に知ってもらい、国が今、何をすべきかを考え、発信していきたい。
- これまでの私は、チェルノブイリ原発事故をはじめとする原発事故は過去に発生していたにも関わらず、なぜ原子力に依存し続けるのだろうと考えていた。今は、原発が実は事故率は他の事故に比べれば低いということに加え、CO2を輩出しない、資源の足しになることで、環境にも良いことが分かり、メリットの部分が大きく評価されたのだと考えている。そこで、私は、これらの原発メリットにはあえて目をつぶり代替案として再生可能エネルギーから製造する「水素」(トヨタ自動車が最近導入を検討している)発電に効率よく利用できないかを調査する。
- これまでの私は、福島原子力発電所事故は東日本大震災によってもたらされた天災であって、災害の規模によって十分な対策が行われない場合もあると考えていた。今は、行政や東電が災害への対策準備の不備によってもたらされた人災であって、対策の余地は十分にあったと考えている。そこで、私は、社会に出てから災害に対してもリスク・マネジメントを学び、災害発生の事前準備や災害発生時の対応を適切かつ迅速に行えるような能力を身につけるようにする。
- これまでの私は、災害に対する政府の反応は完全なマニュアルに基づいて行われていると考えていた。今は、未曽有の災害に政府も電力会社も混乱し、最善の策を取れていなかったと考えている。そこで、私は、事前の対策を練り、それを知り、原発の反対を改めて確認する。
- これまでの私は、地震は予想をはるかに超えるもので、防げないものだったと考えていた。今は、予定通り、対処していれば防げたものだったと考えている。そこで、私は、危機に対する対応・準備の行動をあいまいにせず、きちんと実行する。
- これまでの私は、地震は想定外で、原子力発電所の事故は防げなかったと考えていた。今は、後回しにせずに、きちんと予定通り対応していれば、防げたかもしれないと考えている。そこで、私は、後回しにせず、住民の声をきちんと聞き、早めに対応できるようにする。
- これまでの私は、直接的に関係ない事件や事故に関して他人事であると考えていた。今は、他人事と考えずにその真相や事故・事件の真相を知る必要があると考えている。そこで、私は「かわいそう」や「がんばってほしい」と言う感想を持つだけではなく、なぜそのことが起こったのか、どうすれば防げたのかなどの疑問を持つようにする。
- これまでの私は、自分に直接関係ない事件や事故に関して他人事であると考えていた。今は、他人事と考えずにその真相や事故・事件の真相を知る必要があると考えている。そこで、私は「かわいそう」や「頑張ってほしい」と言う感想を持つだけではなく、なぜそのようなことが起こったのか、どうすれば防げたのかなどの疑問を持つようにする。
- これまでの私は、地震は想定外で原子力発電所の事故は防げなかったと考えていた。今は、事故を未然に防ぐよう、対策を立てて安全に原子力発電所を稼働するべきと考えている。そこで、私は、今後も電力の安定供給の為に原子力発電所を継続的かつ安全に稼働させる方法を模索する。
- これまでの私は、原発事故の責任者は東電であると考えていた。今は、石橋さんのお話にあったように、私たちも社会人になったら責任者であると考えている。そこで、私は、他人事と考えずに今後改善すべき点を事故から考え出し、きちんと行動する。
- これまでの私は、原発事故は発生から何日、何年かが経過した過去の事と考えていた。今は、次の事故まで何日かの今後の事、これからの事と考えている。そこで、私は、一度起きた災害や事故について勉強し、備えて行動、責任を持つ。
- これまでの私は、事故が発生する前は、東京電力も政府も電子力発電は安全だと思っていたと考えていた。今は、危険な可能性も指摘されていたが、「安全だ」と思うため、または思わせるために、原子力発電所の関係者が安全かどうかのルールを決めたために客観的に安全性を見ることができなかったと考えている。そこで、私は、人の命に関わることだと自覚し、自らの損得ではなく、周りの人のことを考えて行動することを願うとともに、言われたことだけを信じるのではなく、自分が思ったことや間違っていると感じることを声に出して言う。
- これまでの私は、原発の是非について安全性が問われるべきだと考えていた。今は、議論のためには安全性以前に原発についてより詳しく知るべきだと考えている。そこで、私は、まずは周囲の人に「わかりやすいプロジェクト」を知ってもらうようにする。
- これまでの私は、原発災害は天災で回避できなかったか難しかったのではと考えていた。今は、原発災害は、事前に対策をしておけば、防いだり、軽くできた人災だったと考えている。そこで、私は、どんな物事に対しても考えうるリスクを予測し、それに対しての事前準備等の措置をする。
- これまでの私は、天然資源が乏しい我が国において今後の生活水準維持を考慮すると原発は必要と考えていた。今は、火力、原子力、水力等の再生可能エネルギー等のバランス、ポートフォリオの提案が最重要であると考えている。そこで、私は、何か一つのものやことに完全に頼り切る姿勢に問題があると考える。自分に置き換えて常にいくつかの選択肢を持ちながら行動する。
- これまでの私は、緊急時の意思決定は国民第一優先で動いていると考えていた。今は、意思決定機関が複雑に絡み合い、自己利益追求の為に働いていると考えている。そこで、私は、知識を集め、今ある現状に疑問を持ち、自分なら、他人ならどうするかを精査する。
- これまでの私は、原発事故問題について責任は東電のみにあると考えていた。今は、責任は東電のみならず、建設を容認した国、県、市にあると考えている。そこで、私は、今後、今まで原発の恩恵を受けていた地域の責任についても考察する。
- これまでの私は、国会事故調査は専門家が考えることで、一般人には関係ないことと考えていた。今は,一人ひとりが該当本を読み、本件から学び、そして国民自身が主体的に理解することが重要と考えている。そこで、私は、現代の主要な問題について、主体的に取り組むことをする。
- これまでの私は、世の中の風潮で原発はなくすべきものであると考えていた。今は、原発が良いとされてきた今までを知り、原発の良い面も学んだうえで判断すべきだと考えている。そこで、私は、原発の良い面も学んだ上で、自分の意見を持つために、知識を取得する。
- これまでの私は、東日本大震災からある程度回復し、状況は改善されつつあるものだと考えていた。今は、外から見たら全くそんなことはなく、まだまだマイナスのイメージが強いと考えている。そこで、私は内からの視点だけでなく、あらゆる角度から物事を見つめなければと思っている。
- これまでの私は、自分は原発問題の解決の力にはなれないで、政府や専門家に任せると考えていた。今は、福島原子力発電所事故は終わったわけではないし、任せっきりにしてはいけないし、集団組織の言うことだけをうのみにし、流されてはいけないと考えている。そこで、私は、日本国民の一人としてこの問題を考える。向き合う。また、「世界から見た日本」という意識も持つ。
- これまでの私は、福島原発事故は「天災」による全く偶然の事故と考えていた。今は、普段より万全の事故対策をしておけば防げたかもしれない「人災」と考えている。そこで、私は、ニュースや新聞などの媒体による情報をうのみにするのではなく、ワンクッション置いて、自分なりに考察してみる習慣をつける様にする。
- これまでの私は、日本に住んでいながらも、震災や原発事故は遠い地域の話と考えていた。今は、自分も集団志向に陥り、思考停止していたと考えている。そこで、私は、日本に生きる者として知識を身に着け、自分の意見を持つ。
- これまでの私は、原発事故はやむを得ずに起こってしまった天災と考えていた。今は、対策次第で減災も可能だった人災と考えている。そこで、私は、事故が起こる前にどんなリスクがあるかを知り、周りで情報を共有、個人で原発に対する知識と意見を持つように働きかけをする。
- これまでの私は、原発事故や被害は天災であり、仕方のないものと考えていた。今は、最悪を予測できれば予防、軽減できたものと考えている。そこで、私は、これからの人生、最悪を想定して予測し、それに対して十分な準備をして生きていくことにする。
- これまでの私は、専門的なことはわからないし、原発からは遠い場所に住んでいるので、意見なんか発信する立場ではないと考えていた。今は、原発問題は日本組織の問題を表しており、国民の一人である自分も、日本の未来を考えるという視点も含め、考えていかなくてはと考えている。そこで、私は、今回の講義を機に、原発の現状をしっかり知ることから始め、多数派の意見に流されないように自分の意見を持つようにする。
- これまでの私は、東電や政府は無責任だと考えていた。しかし、「集団志向の虜」と言う視点から新たに考えてみると、私たち国民が災害に対して、完全に思考を停止して正しい判断ができていないということを知った。そこで、私は「わかりやすいプロジェクト」に参加するためにメールを送り、正しい知識を自分で収集するため、自らプロジェクトに参加し、正しいいと思ったことをする。
- これまでの私は、福島原発事故は自らとは関係ない、国や行政、および東京電力の問題であると考えていた。今は、国民の一人として自らが責任を持って行動するべきであると思っている。これからは、様々な媒体から情報収集をして、それを総合的に鑑みたうえで、自らの意見を持ちそれに準じた行動をとりたいと思う。
- これまでの私は、今回の事故は全部大人たちのせいで、私たちには関係ないという意識が強く、自分のできることはない他人事だと思っていた。今は、日本人としてちゃんと福島原発事故について知り、自分の子ども、孫の世代に同じことが起こらないように考え方を改めたいと考えている。そこで、私は、まず一人の人間として、いつ災害が起きても対応できるように身近なところから準備をして、災害時の行動や家族と連絡をどうするかを話し合う。さらに、これからは社会の一員として、災害があった時も社会貢献できるような会社に入って仕事をする。
- これまでの私は、難しいことはわからないから専門家に任せておけばいいと考えていた。今は、原発事故についてわかりやすいビデオを見て他人ごとではない、自分でもしっかり意見を持つべきだと考えている。そこで、私は、情報収集をし、海外で起きた原発事故の事例などから原発のメリット、デメリットを学ぶ。
- これまでの私は、原発に対する安全に対し、原発反対か賛成かのみで意見を持っていた。今は、原発に対する安全面や被害が小さくとどめられなかった原因を考えるべきだと思っている。そこで、私は、福島原発事故を忘れず、二度とこのような事故が起こらないようこの事故と事故の被害の拡大を伝えていかねばならない、これからの日本を動かしていく身である私たちがきちんと日本の現状を見つめ直し、考えを持ち、行動する勇気が必要だと考える。
- これまでの私は、原発はただ地震のせいで悪化したのだと考えていたが、今は前もって地震の準備がされていなかったと考える。そこで、私は、新しい視野を手にいれたので、これからはただ与えられた情報に騙されるだけでなく、その後ろにある要因は何かを考える。
- これまでの私は、リスク管理については何かが起こった後の対処法を考えればよいと考えていた。今は、問題を未然に防ぐこと、そのために集団志向から脱却することが大切だと考えている。そこで、私は、集団内部だけでなく、外部からの「見え方」を意識して、意思決定するよう心掛ける。
- これまでの私は、原発は安全であり、事故等起こらないものと考えていた。今は、100%安全ではなく、事故は起こりうるものであると考えている。そこで、私は、そもそもの電力を無駄遣いせず、節電する。
- これまでの私は、日本は阪神淡路大震災後に次に地震が起きることを想定して耐震工事や避難訓練に力を入れていると考えていた。今は、まだまだ地震によるリスクを抑えることはできていないと考えている。そこで、私は、リスクをなるべく抑えて生きることにする。
- これまでの私は、日本は平和で前向きな国であると考えていた。今は、虚像であったと考えている。そこで、私は、本当の日本を明らかにする。具体的には自分自身で外の世界から日本という国を見つめ直す。悪い点は全て認める、そして改善できるよう努める、良いことも悪いこともはっきり言える世の中に変える。
- これまでの私は、日本の文化とは、ポップカルチャーや伝統文化と考えていた。今は、日本の文化とは日本語を話す人が作る文化であると考えている。そこで、私は、日本語を世界に広めて、より新し日本文化の創造を促進する。
- これまでの私は、物事の問題の原因を探る際や新たなものを創設、変革する際には、その国の文化や国民性(バッググラウンド)はあまり重要でないと考えていた。今は、文化や国民性などは問題を考える際や新たなことや変革を考える際にはきわめて重要な要素であると考えている。そこで、私は、これからは自分自身をよく知るためにも自身の文化を熟考する。
- これまでの私は、pull, maps (状況にとって受け身の考え方が良い)と考えていた。今は、push, compasses (もっと積極的にもっと新しい価値を見つけ出していく)と考えている。そこで、私は、新しい価値の概念、イノベーションを学び、実践できるようにする。
- これまでの私は、集団志向とは各々が意見を出し合い、リーダーがそれをまとめて、指示を出すものと考えていた。今は、客観的に自らの集団のあり方を把握し、それぞれの立場でよく聞き、よく見て、よく話し、それぞれの使命を果たすことと考えている。そこで、私は、「自分」をまず客観劇に見つめ、自分が「今」すべきことを確実に果たす行動をする。
- これまでの私は、集団行動では集まった仲間たちと考えを共有し、一つにまとまることが最も好ましいと考えていた。今は、あまりにも自分たちの考えばかりを追及すると自分たち以外の立場の者に偏見を持ったり、集団以外には通用しない信仰や勝手なイメージを作り出してしまう。そこで、私は、第三者(=集団以外の人)の意見を聞いたり、交流することで客観的に物事がとらえられるように努力をする。
- これまでの私は、組織はその中の人々が意見を一致させればよいと考えていた。今は、「なぜ」それで良いのかということが重要であると考えている。そこで、私は、客観的な視点を取り入れるために第三者の意見を聞いて考えるようにする。
- これまでの私は、組織内ですべきことが自分のやるべきことだと考えていた。今は、川崎恵美子さんのように自分が正しいと思ったことをしようと考えている。そこで、私は、他の人がこうすべきと言ったから等、流されるのではなく自分の意志で行動をする。
- これまでの私は、「集団志向」という概念自体は知らなかったものの、なんとなく周囲の急速な流れや同調に「違和感」のようなものが自分の中にあると考えていた。今は、講義を聞き、原発事故と言う大きな問題と自分に差し迫っている就職活動(進路選択)という身近な問題において、前述の「違和感」が融解しつつある。そこで、私は、就職活動(進路選択)において(不安ではあるものの)表面的なスキルや条件で左右されるのではなく自分の今までの感覚、勘、内面からみなぎる力を頼りに「自分」で選択、決定する。
- これまでの私は、集団で考えることは、様々な立場からの意見が反映されることにつながり、より良い判断を下せる方法の一つであると考えていた。今は、同質者による集団志向は、他者への依存などから間違った方向に進んでしまうことがあり、特に日本人の性質や特徴を考えた際に、時として大きな危険があると考えている。そこで、私は、集団の中においても、個人の意見を持つことを重視していかなければならないと感じた。自分が正しいと思ったことは言葉にし、行動に移していかなければならないと感じた。自分が正しいと思ったことは言葉にし、行動に移していくことを意識して、様々なリスクや問題に対して正しい認識ができるように努力する。
- これまでの私は、どのような状況でも、集団志向に関して、多数の意見を尊重することで、議題に関する答えが最も適切に近づくことになると考えていた。今は、集団行為は時として自殺行為になると考えている。そこで、私は、集団思考の導く答えが最も適切な答えであるかどうかを見極められる人間となり、これから生活していこうと思う。
- これまでの私は、集団行動を行う際、リーダーによる的確な判断や指示が必要であり、リーダーが中心となる行動組織となるのが理想と考えていた。今は、リーダーにおいて信頼と人間性だけでは不十分であり、集団行動内においてリーダーになったとしても、そのチームにおいて環境とい」うものを考慮しなければならないと考えている。そこで、私は、もし今後集団行動として活動する機会があるとしたら、リーダーとしての本質を問うことよりも初めに、そのチームの環境を見極めてみたい。そして、その環境においての強度を考慮したい。強さと弱さにおいての相互関係をどのような場面においても対応できるような組織づくりをする。
- これまでの私は、集団での議論は、「どれほどの人数が同じ考えを持っているのかが第一に優先すべき事項である」と考えていた。今は、「数多くの考えを慎重に吟味していく場」であると考えている。そこで、私は「これから一方的に相手の話を聞いたり、自分の意見を言うだけでなく、自分から質問を相手に投げかけてみること」をする。
- これまでの私は、集団行動をしているグループが上手くいっていればよいと考えていた。今は、そのグループの周りの人々、あるいは組織にも目を向けるべきだと考えている。そこで、私は、常にそのグループにおいて、抑制ができるポジションの人間を配置する。
- これまでの私は、震災から日が経つにつれて、その対策は個人レベルでなく、国家レベルの問題として考えを深めなくなっていた。今は、集団志向の虜になっていて、危険因子の一人であると考えている。そこで、私は、個人として考えられることを考え、それだけでなく、何らかのツールを用いることでそれを発信する。
- これまでの私は、自分一人では国のためには何もできないと考えていた。今は、学生でもそういった活動に参加する事ができると考えている。そこで、私は、自分でもできることは何であるか情報をもっと集める。
- これまでの私は、集団で合議を行うと多様な意見が生まれ、良い解決策が見つかるというプラスの面が多いと考えていた、。今は、集団思考は閉鎖的な状態になることがあり、自分たちのしていることが本当に正しいのかわからなくなることがあると考えている。そこで、私は、集団志向を行うときも閉鎖的にならず、外部の環境にも目を向けるようにする。
- これまでの私は、無意識のうちに集団志向にはまってしまっていた。特に、閉ざされた集団の意識や集団外部への偏見など当たり前のように感じてしまっていた。今は、無意識に集団思考に陥っていたことに気付いたので、その点をより注意して意識し、集団思考の欠点を別の方法などで変えていくべきと考えている。そこで、私は、まずは自分からその集団思考から抜け出せるように常に意識し、改善していく。そして、それを周りにも影響させられるようにする。
- これまでの私は、組織の中で考え方が偏りがちであるのが常識であり、仕方がないことなのかもしれないと考えていた。今は、そんな状態では一つの方向に傾いてしまうと考えている。そこで、私は、自分の良いと思った行動をとることにする。
- これまでの私は、海外から見ると日本はサブカルチャーが人気で、2020年のオリンピック開催も決まり、華やかなイメージであると考えていた。今は、日本に住んでいる私たちよりもずっと原発事故の収束や核廃棄物の処理が進んでいない内部状況が不透明な国と見られていると考えている。そこで、私は、日本国内の報道だけでなく、海外の人々が日本をどう見ているかということを積極的に情報収集し、改めて日本の置かれている状況を考える。
- これまでの私は、自分の属する団体は自分に合っていて居心地が良いので良い周りと調和を図ることで、優良な関係を維持できると考えていた。今は、自分と異なる意見を持つ人の話や案をもっと積極的に取り入れるよう自分の考え方を柔軟にしようと考えている。そこで、私は、自分が居心地の良いと思う集団から一歩踏み出し、新たな視点からもう一回同じ事情について見つめることにする。
- これまでの私は、集団の中で決定したことは正しいと考えていた。今は、集団の中で決定したからと言って必ずしも正しいとは限らないと考えている。そこで、私は、何が正しいのか集団の中ではなく、客観的な立場で物事を判断するようにする。
- これまでの私は、一人の意思決定により、集団の意思決定がはるかに優れていると考えていた。いまは集団の意思決定が必ずしも優れている訳ではないと考えている。そこで、私は、集団の代替案や目標を集団全員で考える、リーダーは作らず、集団のメンバー全員がリーダーのような存在を目指す。少数派の意見や一人の意見に耳を傾ける。多数決をとらないようにする。
- これまでの私は、自分が一番その組織についてよく知っているから、自分の意思決定は正しいと考えていた。今はそれは集団志向に陥る兆候であると考えている。そこで、私は、代替案の精査や組織内外の意見を平等に扱うことにする。
- これまでの私は、私が所属している部活動は創部以来、守られていた伝統や規則をこのまま変えずに間守っていくべきと考えていた。なぜなら、先輩方もも守ることが当然と言わんばかりの態度、言動をしてきたからだ。今は、その守られてきたことが客観的に見て正しいのか、と考えている。そこで、私は、まず仲間と面と向かって話をする。今まで守られてきた目に見えるルール、暗黙の了解などを一つひとつ主観的にならないよう努めながら、皆で検討していく。
- これまでの私は、人それぞれイメージに違いが生まれるのはしょうがないことで、内側から発信していくことが重要だと考えていた。今は、もちろんイメージの共有が大切で内側からの発信も重要だが外側で発信(もともと共有)されているイメージに目を向けることも重要だと考えている。そこで、私は、様々な視点から物事を見る(客観的にも主観的にも)ことが必要だと考え、様々な情報を取り入れようとする。
- これまでの私は、ゼミが一番大事で、入りたいゼミにも入れないし、コースも違くなるし、正直終わったと考えていた。今はとにかく学生を楽しもうと考えている。そこで、私は、この学校のほかにももう一つ専門に通うことにする。
- これまでの私は、コーヒーはただの苦い豆汁だと考えていた。今は、カフェインを含むエナジードリンクだと考えている。そこで、私は、コーヒーを飲みまくりテスト勉強する。
- これまでの私は、将来起こるかもしれない出来事に対して何か準備をしておくことは難しいと考えていた。今は、事前にできることはあるし、それには意味があると考えている。そこで、私は、まず今回の講義でも取り扱った「地震」について、家の地震対策を改めて確認し用意をする。
- これまでの私は、集団の構成員が話し合って物事を決めるのは良いと考えていた。今は、それが誰かの一人よ仮になったり、その集団にとって悪いものとなる恐れがあると考えている。そこで、私は、なるべく第三者的立場の人に見てもらうようにする。
- これまでの私は、変えられるのは身近なものだけと考えていた。今は、たとえ変わらなくてもしっかりと情報を得て、あきらめずに行動したいと考えている。そこで、私は、今まで無駄だと思っていたことでもどんどん挑戦する。
- これまでの私は、発言することは恥ずかしくて勇気がいることだと考えていた。今は発言しないのは、その場にいないのと同じだと考えている。そこで、私は、今後、必ず一度はどんな場でも積極的に発言する。
- これまでの私は、少なくとも自分は最低限のリスクマネジメントはしていると考えていた。今は、それはもしかしたら、自分でできることの限界を勝手に作り、周りに合わせ、自分も集団思考の停止に陥っていたのではないかと考えている。そこで、私は、外から自分を見れる能力を養い、正しいと思ったことは果敢に取り組むようにする。
- これまでの私は、わかりにくい授業を取ったのは不運で、もう何をしても仕方がないと考えていた。今は、自分が何か行動すれば授業の見え方や授業自体も変わるのではないかと考えている。そこで、私は、積極的に授業に参加、発言する。
- これまでの私は、単位を落としたり、成績が悪いことを機にするべきと考えていた。今はより良い授業にするためにはどうすればいいのか、先生が言っていることは本当なのか、自分は何を学びたいのかを考えることが重要と考えている。そこで、私は、自分の意見を持つ、そして発言する。
- これまでの私は、成功は才能に恵まれた一部の人が得るものと考えていた。今は、常に自分を客観的に見ることができる人が得るものと考えている。そこで、私は、未来のために何ができるかを考えて行動に移す。
- これまでの私は、自己のイメージと他者が持つイメージに大きな食い違いはないと考えていた。今は、他者が持つイメージが自己イメージよりも良いことはないだろうと考えている。そこで、私は、自己イメージと他者の持つイメージの差を縮めるために(何事においても)他人を見る目で自分を見つめるようにする。
- これまでの私は、プラス思考が良い行動を生むと考えていた。今はリスクを考えながら、最高の事態と最悪の事態を考えるべきだと考えている。そこで、私は、物事を進める時は最高と最悪の事態を考えながら行動する。
- これまでの私は、私には専門的な知識は関係ないと考えていた。今は難しい内容でも理解できる部分はあると考えている。そこで、私は、ニュースなどで情報を集め、知ることを大切にする。
- これまでの私は、大学の課題やゼミの発表準備は計画的には起こっていたが与えられていることのみを調べようと考えていた。今は、与えれていることのみを行うと、突然起きたことに対応しづらく、焦りが生じてしまい、計画的に行ってもすべてを発揮することなく終えてしまうと考えている。そこで、私は、これからは言われたことのみをこなすのではなく、質問されそうなことや発表時に起きそうなことをあらかじめ予測することにより、本来準備されていたことが100%発揮できるようにする。
- これまでの私は、大学の課題やゼミの発表準備は計画的には起こっていたが与えられていることのみを調べようと考えていた。今は、与えれていることのみを行うと、突然起きたことに対応しづらく、焦りが生じてしまい、計画的に行ってもすべてを発揮することなく終えてしまうと考えている。そこで、私は、これからは言われたことのみをこなすのではなく、質問されそうなことや発表時に起きそうなことをあらかじめ予測することにより、本来準備されていたことが100%発揮できるようにする。
- これまでの私は、原発を含め、起きてしまった事故について事実を知るだけで自分たちにできることはその後の支援と言ったボランティア活動くらいでむずかしい問題は国や専門家に任せれば大丈夫であると考えていた。今は、政府を始め、国と国民一人ひとりに責任感や思考力が求めれると考えている。そこで、私は、国の状況をしっかりと把握するために毎日テレビや新聞などから情報をしっかりと把握し、何事も人ごと収めず、国を支える一人として起きてしまった問題へは分析を行うなど、今後起きないためにはどうするべきなのか、と言った問題解決に向けて考えていきたい。
- これまでの私は、三度の食事は生きるために食べなくてはいけないことと考えていた。今は、日々の生活を潤すものの一つと考えている。そこで、私は、一回一回の食事を大事にし、自分が食べたいと思ったものを食べることにする。
- これまでの私は、いつか海外留学したいと考えていた。今は、今年の夏に必ず行こうと考えている。そこで、私は、説明会に出席する。
- これまでの私は、それなりの努力で合格を目指すよりその過程で何かしら得られれば良いと考えていた。今は、初めからそのような態度では何かしらの得られるものも手にはできないのではないか、と考えている。そこで、私は、気持ちを新たに緊張感を持って勉学に取り組むことにする。
- これまでの私は、憶測で行動していたとしても、それが一番早い解決になるのであれば、よしと考えていた。今は、冷静に物事を捉え、多少時間がかかったとしても最良な解決策を探すことが良いと考えている。そこで、私は、問題の裏にある背景をきちんと見極めるようにする。
- これまでの私は、レギュラーだけが頑張れば良いと考えていた。今は、全員が試合に出るつもりで練習するべきと考えている。そこで、私は、自主練習をする。また、チーム全体のために後輩を誘って練習する。
- これまでの私は、楽しみながら自分のやりたい興味のある勉強のみやれば良いのだと考えていた。今は、広い分野における知識を兼ね備えた専門性のある人になりたいと考えている。そこで、私は、多くの本を手に取るように心がけ、大学の講義を大切にする。
- これまで私は、行政の事前対策については、何よりもマニュアルを作り規則化することが重要と考えていた。今は、住民、組織の意識を高め、マニュアルに頼りすぎない農道社会を作ることが必要と考えている。そこで私は、3.11が風化されないように家族、周辺に働きかけをする。
- これまで私は、マニュアルは、災害が起きた時にみなを守ることができるものと考えていた。今は、その時々によって、変えていき、対応できる「生きもの」にならないといけないと考えている。そこで私は、マニュアルがあるからと安心せず、身の回りから見直すことにする。
- これまで私は、情報伝達フロー事態は確立されたものではないかと考えていた。今は、必ずしもひとつの決まったフローが機能するとは限らないと考えている。そこで私は、情報発信の時には「どう伝わるか」を常に意識する。
- これまで私は、福島原発事故の避難指示は、場当たり的な対応ばかりと考えていた。今は、事故が起こらないという前提で対策がなされていない中では、精一杯の対応だったと考えている。そこで私は、もう少し広い視点で物事をとらえられるようにする。
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- これまで私は、避難のあり方は、制度や計画のたてかたの問題と考えていた。今は、そうした発展そのものさえも、行政まかせ、他人任せをはらんでいるのだなと考えている。そこで私は、制度設計なき状況でも、小さい単位が能動的にいかせることをどうするか、できるかを考えることをする。
- これまで私は、全ての人が安全神話を信じている訳ではないと考えていた。今は、全ての人が信じていると思われていると考えている。そこで私は、もっと多様な人々がいることを発言する。
- これまで私は、重大事故に関しては、防災マニュアルがないと考えていた。今は、今回の話を聞いていると、あることが当然のように思われていると考えている。そこで私は、マニュアルがない状態で行動できるようにする。
- これまで私は、避難マニュアルは、再度見直し、避難訓練ができればよいと考えていた。今は、加えてそれをどう生きたものにするかということを深く考えるようになった。そこで私は、より深く広く勉強したいし、多くの声に耳を傾けたいと思う。
- これまで私は、マニュアルは、考えるための水準と考えていた。今は、作ってしまうことで自己満足するリスクをはらむものと考えている。そこで私は、考えさせるマニュアルとは何か?を模索する。
- これまで私は、マニュアルは役に立たないことが多いと考えていた。今は、マニュアルは想定内に対するものと考えている。そこで私は、想定外のことに対しては、正しい情報を吟味、発信、獲得することが大切であると思う。
- これまで私は、「マニュアル」があればそれだけ役に立つものと考えていた。今は、「マニュアル」はできた瞬間から「神話化」「思考停止」を生むと考えている。そこで私は、「マニュアル製作」の目的の転換を考えるようにする。
- これまで私は、SPEEDIは避難に非常に役に立つものと考えていた。今は、あまり実態にあったものではないと考えている。そこで私は、一般論ではなく、事実は何か考える。これまで私は、当時の意思決定者に能力がないと考えていた。今は、彼らのメンタルモデル、当時の得られた情報の中ではベストを尽くした部分もあったともと考えている。そこで私は、自分のメンタルモデルについて考え続ける。
- これまで私は、当時の意思決定者に能力がないと考えていた。今は、彼らのメンタルモデル、当時の得られた情報の中ではベストを尽くした部分もあったともと考えている。そこで私は、自分のメンタルモデルについて考え続ける。
- これまでの私は、原発事故は避けられなかったものと考えていた。今は避けることができた人災だと考えている。そこで、私は、集団志向に陥らないように常に注意する。
- これまでの私は、組織的問題は自分の力では何も変わらない、と考えていた。今は、周りの意識を変えることならできると考えている。そこで、私は、自分から動き、何か変革を起こす人間になる。
- これまでの私は、自分に与えられている仕事があって、それを完璧にこなすことがまず大事と考えていた。今は、認識していたもの以外に自分のできること(あるいはやらなければならない役割があるのではないか)と考えている。そこで、私は、自らアンテナを張って探す。そして周りの人の役割についても考えるようにする。
- これまでの私は、組織とは最後には従わないといけないものと考えていた。今は危ない面もあるものと考えている。そこで、私は、組織を忘れて、一国民として物事を見る習慣をつける。
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- これまでの私は、事故の社会背景についての問題意識が深まっている日本人が少ないと考えていた。今は、少ないかもしれないが、認識を深め、実際の行動面でも頑張っている人もいると考えている。そこで、私はもう少し考える。
- これまでの私は、原子力発電は震災を機に考え方を変えれば、うまくガバナンスできると考えていた。今は、人間の考え方は容易に変わらず、また事故が起こってしまって対策すると考えているが、事故が再び起こることを許してはならない。そこで、私は、他人と議論したり、考えを交換したり、微力ながらも事故が起こらないようにする。
- これまでの私は、物事を判断する際の基準について、自身の経験や他人の意見に左右されがちだった。今は、自身の考えを今一度冷静に見つめ直すことが必要と考えている。そこで、私は、様々な意見を聴き、自分自身で消化してから判断していくよう心掛ける。
- これまでの私は、正しいと評価されることが正しいと考えていた。今は、正しいと思えることが正しいと考えている。そこで、私は、自らの価値尺度を磨くとともに、自らが判断する。
- これまでの私は、ちょっと疑問に思ってもまぁいいや、専門家が考えるでしょう(集団志向)と考えていた。今は、自分が知ろうとすることをさぼってはいけない、と考えている。そこで、私は、とりあえず、まず知るところから始める。
- これまでの私は、原発問題については身近に手に入る情報だけで危機的情報は終わったと考えていた。今は、事故はまだまだ終わっていないのだと考えている。そこで、私は、新しい角度の情報を集めるようにする。
- これまでの私は原発問題は、賛否いずれかを論ずることと考えていた。今は、主張を対立させるだけでなく、その前に共有するべきことがあるのではないか、と考えている。そこで、私は、なぜを追及する。
- これまでの私は、ただ、マインドセットだ!と言えばよいと考えていた。今はグランドルールに基づき、「なぜ」をお互いに深めたいと考えている。そこで、私は、なぜを追及、共有する。
- これまでの私は、国の安全対策が十分でないのは、全て政府や上の立場の責任と考えていた。今は、上の立場の人たちが動きにくいシステムを改善しない自分たち一般国民にも責任があると考えている。そこで、私は国が安全対策をする時「今まで危険だったのか」と言わず、それをサポートする。
- これまでの私は「安全神話」は事業者、規制者側が作ったと考えていた。今は国民一人一人が「安全」を求めた結果作られたと考えている。そこで、私は、どうしたら「安全」が作られるのか、関係者だけに求めないようにする。
- これまでのは私は、福島の原発事故は東電の無責任が原因と考えていた。今は、東電の人たちが「必要とされていること」を忠実にしたために、対策がおろそかになってしまったと考えている。そこで、私は、自分の周りで「必要とされていること」が本当に正しいか考える。
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- これまでの私は、SAについてちゃんと考えていなかった。今は考えられたのに考えていなかったとわかった。そこで、私は、言わなければいけない時には言う。
- これまでの私は、組織の病理は避けられない「宿命」のような諦観を持って捉えるものと考えていた。今は、「安全対策」がリスク視されてしまう(それを許容する)社会そのものが、組織の様式(判断、タコツボ化、高い能力も)に反映されている結果に過ぎないものと考えている。そこで、私は、政治学、行政学では「ガバナンス論」が前提とされて政策が論じられるけれども、そうした既存の視点を打破する、もしくはずらすような研究をする。
- これまでの私は、シビアアクシデントと日本の体質について何も考えていなかったが、今はSAやその周りを取り巻くシステムが根底にあったと考えている。そこで、私は、普段の身の回りの中で、自分がそのシステムに加担しないようにする。
- これまでの私は、問題の肥大化は、組織の人、全てに問題があると考えていた。今は、現場は努力しているが組織上部に問題があると考えている。そこで、私は、この意見を同年代の人と共有する。
- これまでの私は原発事故を防止することは技術的に可能と考えていた。今は日本社会の仕組み、安全文化を変えないとダメと考えている。そこで私は、日本人に合う安全文化について考えてみたい。
- これまでの私は、事故は想定外の規模の津波による天災的な面も大きいと考えていた。今は起こるべくして起こった事故と言うことを知った。そこで、私は、このような事故を二度と起こさないために自分が何ができるかを考える。
- これまでの私は、福島原発事故は単なる事故と考えていた。今は、もしかしたら事件かも知れないと考えている。そこで、私は、事件を起こしているかもしれないと思って生活する。
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- これまでの私は見えてなかった。今はいろんな人と呼んだ感想をシェアするのはいい感じだと考えている。
- 輪読会に参加して、以前からの考えや感じ方が強化された気がしました。
- これまでの私は、司会は割と簡単じゃないかと考えていた。今は、緊張するし、もっと深く考えて準備しないといけないと考えている。そこで、私は、何を考えたらいいかを考える。
- これまでの私は、何かを外観的に学ぶことで「当事者性」は身につけられると考えていた。今は、その人が内在的に何を思うか、感じるかのほうが大事かもしれないと考えている。そこで、私は、おそらく悩むことになる。と言うのは人間の外在を問う社会科学と人間の内在を問う思想教育?別領域の学問との間のインターフェース問題を感ずるから。
- これまでの私は、事故の主な原因は地震と津波による天災だと考えていた。今は、耐震工事が先延ばしにされて行われていなかったこと、原発安全神話、事故後の対応など様々要因が組み合わさって起きた人災だったと考えている。そこで、私は、今回学んだことを、できるだけ多くの人に伝えられるようにする。
- これまでの私は、事故調は政府によって作られた調査機関と考えていた。今は、完全に政府とは切り離された第三者機関であり、それでいて国会より承認を受けている唯一の調査機関であると知った。そこで、私は、事故調についてもっと知り、調査書などを読んで、原発事故についてもっと情報を手に入れようと思う。
- これまでの私は、流れている原発事故に関する報道は全て正しいと考えていた。今は、東電側から見たものと、国から見たものでは全然違うということを学んだ。そこで、私は、客観的な視点で物事を見るようにする。
- これまでの私は、国会議員の方々はみな目を通したうえで、共通の認識で政策を議論していると考えていた。実際は、ほとんどの国会議員の方々が国会事故調査報告書を読んでおらず、その内容も強制力がないという現状はおかしいと考えている。そこで、私は、「わかりやすいプロジェクト」のような教材を、国のトップで活動する政治家はもちろん、全国民が学び、「賢い国民」にならないといけないと考え、このプロジェクトを知人に紹介し、福島県民としてまず自分が正しい「安全」について勉強する。
- これまでの私は、私たち福島県民(特に原発周辺に住んでいた人)は、東電の失敗による人災の被害者であり、様々なこと(お金や復興など)を国や東電に求めても良いと考えていた。今は、電気を得ることを考えると、完全に原発を手放すことのできないであろう国や東電の事情を考え、一方的に国の方針に受け身(単に原発をなくせという)になるべきではないと考えている。そこで、私は、被災者の一人として、原発のこの先の展開に受け身にならずにどうすれば安全でエネルギーに困らない生活を手に入れられるかを考える。
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- これまでの私は、東電と国、その関連機関のみが悪いと考えていた。今は、それらにも責任は大いにあるが、事故の危険を見抜けなかった自分たちの危機意識が甘かったと考えている。そこで、私は、行政や権力層の動向をしっかりと見極めたい。
- これまでの私は、東電が悪いと言っても、それは東日本大震災による津波のせいだと考えていた。今は、まだ原発内をはっきりと調べることができず津波が原因だと本当にわかっていないことや、事故が起きた際の対応について先延ばしにしていたこと、海外と比べて基準がとても甘かったことから、東電と政府による人災だと考えている。そこで、私は、この事故を風化させないように、事故についてしっかり知り、他県や海外の人に話せるようにする。
- これまでの私は、事故の原因は東電の管理体制の悪さだと考えていた。今は様々な要因があることを知った。そこで、私は、人に伝えたり、自分で考えたりする。
- これまでの私は、事故が起こった時の対応が悪かったから事態が悪化したと考えていた。今は、耐震補強工事が先延ばしされていたことやもしものことが起こった時の為に準備がされていなかったことが根本的原因だと考えている。そこで、私は、「絶対にありえない!」と思うのではなく、「もしかしたら○○かもしれない。そうなったらどうしようか?」と考えるようにする。
- これまでの私は、原発事故を単なる事故と考えていた。今は、複数の複雑なことがさまざまに絡み合った今も続いている問題だと考えている。そこで、私は、もっと多くのことを知る努力をする。
- これまでの私は、東電の偉い人たちがごまかそうとしていたから事故が起きたと考えていた。今は、東電を監視するはずの人も適当なことをしていたと考えている。また、根拠なき理由をうのみにして何も疑っていなかった自分たちにも非があると考えている。そこで、私は、様々なことに疑問を持ち、調べるように意識する。
- これまでの私は、東電と政府にのみ原発事故の責任があったと考えていた。今は、危機感を持たず、疑問を持たず生活していた私たちにも責任があると考えている。そこで、私は、メディアの言うことをうのみにせず、自分で学び、自分で考え、自分で行動する。
- これまでの私は、原発事故対策はしっかり行っていたが、予想外のことが続いたから事故が起きたと考えていた。今は、対応の仕方がはっきりしなかったせいだと考えている。そこで、私は、その事実をたくさんの人に知ってもらえるようにしたい。
- これまでの私は、原発の事故が起こったのは地震の2次災害だと考えていた。今は、地震の発生以前に安全基準がよく検討されず、先延ばしにされたことや東電と規制委員会の組織が上手く稼働していなかったせいだと考えている。そこで、私は、問題の解決には表面よりも深いところを見るようにして、自分自身は組織にとらわれない姿勢を持ちたい。
- これまでの私は、一方の視点でしか原発を見ていなく、責任は東京電力にあると考えていた。今は、数々の要因から事故が起き、原発関係者全員に判断のミスの責任があると知り、いろいろな視点から考えるべきだったと考えている。そこで、私は、日常生活においても考える機会に会った時は、一つのことにとらわれないで視点を広く保ちたい。また、これからも原発の動きは積極的に知るようにする。
- これまでの私は、日本は原発事故が起きてからこの2年間半的確な対応がなされていないと考えていた。震災当時から国会議員、東電などが不確かなことを言ってずっと先延ばしにしていると学んだ。そこで、私は、様々な形で現在の社会に貢献できるようにする。
- これまでの私は、原発事故は決して起こるはずがない、安全だと考えていた。今は、原発に憎しみを持ち、また、政府の対応の遅さや東京五輪開催決定などにふざけるなと考えている。そこで、私は日本に原発を設置すること自体に反対し、将来の人たちに事故の深刻さを言い伝えする。
- これまでの私は、東電は規制委員会や国会にきちんと規制されているはずだから原発は大丈夫だろうと考えていた。今は、規制委員会も東電から独立しておらず、「安全だ」と言うのは全くの嘘だったんじゃないかと考えている。そこで、私は、事実をしっかり理解して、同じ過ちを繰り返さないように、人に伝えるようにする。
- これまでの私は、原発事故についてあまり知らず、何も言えなかった。今は、原発事故は起こると想定しなかったことによって起きたとも考えている。そこで、私は、福島県民として過ちを繰り返させないようにする。
- これまでの私は、東電や政府など各機関では、予め何かあった時の対応や行動の役割が決まっていると考えていた。今は、当時は何も決まっておらず、そのために混乱を招いたと知り、考えられる出来事の対応などを決め、できる限り国民に開示するべきだと考えている。そこで、私は開示されている情報を収集し、広げることをする。
- これまでの私は、事故を調査する独立組織がないと考えていた。今は、国会事故調のような組織があることを知り、一度はその出版された本を読みたいと考えている。また、私は、このことを周囲の人に広め、真実を知ってもらう活動をしたい。
- これまでの私は原発事故を調査するグループはない、と考えていた。今は、調査委員会に戦ってほしいと考えているので、応援していこうと思う。
- これまでの私は、事故調は民間のものしかなく、調査権が弱いため、あまり役に立たないと考えていた。今は、国会を母体とする事故調が存在することを知り、それらは完全とは言えなくても真実に近づくことができたのではないかと考えている。そこで、私は、国会事故調の調査結果をよく吟味し、生きた情報にする。
- これまでの私は、原子力発電所について誰も真実を語ってくれないと考えていた。今は、国会事故調査委員会が一般の立場で、独立している機関なのでまだましだと考えている。そこで、私は、いろいろな面から少しでも人を信じたいと思った。
- これまでの私は、政府は福島が汚染されようが構わないものと考えていた。今は、正しい情報を集め、人々に知ってもらう工夫に努めているということを知った。そこで、私は、正しい情報を手に入れ、広めていく。
- これまでの私は、1人ひとりがベストを尽くせば、全体が良くなると考えていた。今は、集団が一体となって行動するべきだと考えている。そこで、私は、自分の属する集団が一体となれるよう働きかけることを大切にする。
- これまでの私は、原発の安全対策はされていると考えていた。今は、安全対策もろくにやらず、「原発に事故は起こらない」として、修理を延期し続けた政府や東電は悪いと考えている。そこで、私は、安全対策を考え、必要なことは早くやっておくようにする。
- これまでの私は、国が何とかするであろうと考えていたが、今は国会や政府だけを当てにするべきではなく、国民が原発事故についての関心や知識を持ち、考え、行動しなくてはならないと理解した。そこで、私は、SNSなどで事故の存在や内容を発信する。
- これまでの私は、原子力関係の組織はもっとまともな構造をしていると考えていた。今は、ただちに組織構造を変化させなくてはならないと考えている。そこで、私は、東電、政府、およびその他の組織の事故対応の情報収集をする。
- これまでの私は事故など何か災害があった場合、即時に移動させることがまず第一と考えていた。今は、安全確保のためには、移動中、移動後も同時に対策が必要と考えている。私は、施設間の情報をまとめる窓口が必要と思うので、少しでも力になれるようにする。
- これまでの私は、「避難弱者」というような現実に向きあう機会があると思ってもいなかった。今は、日本中いや世界中で起こりうることだと考えている。そこで、私はせめてその情報を持ち、身近な人へのメッセンジャーとなる。
- これまでの私は老人介護施設も災害を想定して訓練などの準備をしていると考えていた。今は、想定もあまりされていないし、訓練も行われていない、ましてや、原発事故など想定もされていなかったことを知った。そこで、私は、地域の防災計画を確認する。
- これまでの私は、介護施設の避難は、県、市町村単位で連携が取れていると考えていた。今は事故を教訓に地域防災計画に早急に反映させることが大事と考えている。そこで、省庁を超えて、地域防災計画の具体化を実現することが重要だと考えている。
- これまでの私は、避難には計画を立て、しっかり訓練を行うことが不可欠と考えていた。今は、それにとどまらず、長い時間軸での避難を見据えたQOLの確保をどう可能にするか、そして、それに対してどう、リソースを効果的に動員するかに深堀りしないといけないと考えている。私は、中間団体も含めてネットワーク化に資するような知見の提供ができればいいと考えている。
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- これまでの私は、避難弱者とは自分とは関係のないところにいる人々と考えていた。今は、自分の身近にいても何らおかしくない人々と考えている。避難という大きな枠組みの中で、「避難弱者」をとらえることとする。
- これまで私は、「避難弱者」について良く知らなかったし、情報を集めようともしていなかった。今は、原発被災だけでなく、大規模災害発生時に大きな課題となっているとことを知った。そこで、自分の身近な人がそうなった時に自分がどうするかを考えることにする。
- これまでの私は、まるで弱者・困難者は存在しないかのように考えていたが、今は弱者・困難者の避難は、厳しい判断や困難が待ち受ける課題だと考えている。そこで、私は弱者・困難者がどこに存在するのか考える。
- これまでの私は災害時の弱者支援は、大切なことだが、どこか自分とは遠い出来事と考えていた。今は自分にできることもある、と考えている。私はまずこのテーマについて良く知ろうと思う。
- これまでの私は、弱者避難は例外的小事件、優先順位の低い問題と考えていた。今は重大な課題と考えているので、よく調査、勉強したいと思う。
- これまでの私は、原発事故は戦時のような状況であり、要介護者の避難は大変だろうと漠然と考えていた。今は、厳しい現実を知り、やはり防災計画は実現可能なものにするべきと知った。行政に頼らず、市民が自助対策をするべきであり、そのための対策を考えたいと思う。
- これまでの私は、地域防災計画は、各自治体(都道府県レベルや市町村)で作られていると考えていた。まだまだ課題があることを知り、事実を知り、伝えていきたい。
- こ れまでの私は、災害や復興は法制を作ることで実行できる、と楽観的に軽くおおざっぱに考えていた。今は、多くの人に寄り添い、意見を集めて、真剣に話し合 い、意見を出し合うことで、一歩一歩ゆっくりと試行錯誤を重ねて、前進させていくものと考えている。そこで、私は今回の話を自分の周りの人に少しずつ伝え ながら、自分自身の問題として捉えていこうと思う。
- これまでの私は事故を受けた防災計画が大なり小なり、比較的進んでいるのではないかと思っていた。実は全体として進んでいるとは断言できない状況ではないかと考えている。そこで、私は行政側のリフレクションについてより深く調査、考案する。
- これまでの私は、避難できたらとりあえず緊急の問題は解決すると考えていた。今は「避難」と言っても色々な要素があり、多方面からの検証が必要と考えている。このことをもう少し考えようと思う。
- これまでの私は、弱者を介護する方々の強い意志についてどうなのかと考えていた。今は、まだその意志の根源がよくわからないものの、改めて考えようと思う。
- これまでの私は、全ての人々が被害を受けていて程度の大小はないと考えていた。今は、被害はもっとも弱い人々に集中してしまうのではないか、と考えている。そこで、私は高齢者、障害のある方々、子どもたちの被害を最小にするためには、何ができるのかを考えたい。
- これまでの私は、国会事故調/福島での事故対応は難しいもの/複雑なものと考えていた。今は身近なもの/シンプルな構図の上に起こったものと思っている。そこで、私はより理解できるように努めたいと思う。
- これまでの私は、栄養について多様性が必要と考えていた。今はそれだけでなく、経管栄養や胃ろうの人への食事も常備すべきだと考えている。私は自分の地域の防災計画をもう一度確認する。
- これまでの私は、リスク管理について、何が起こった後の対応法を考えれば良いと考えていた。今は、問題を未然に防ぐこと、そのために集団思考から脱却することが大切だと思う。そこで私は集団内部だけではなく、外部からの見え方を意識して意思決定するよう心がける。
- 原子力発電所について、これまで私は安全であり、事故等おこらないと考えていた。今は、100%安全じゃなく、事故は起こりうるものであると考える。そこで私はそもそも電力を無駄にせず、節電する。
- これまで私は、この勉強会に参加する人は、皆同じような考えを持っているだろうと考えていたが、今は一人ひとりかなり意見が違うので、対話が本当に大切だと思っている。今後は、さまざまな意見をきちんと聞きつつも、自分の考えもきちんと言葉にしていきたいと思う。
- これまで私は、事故当事者等の組織的問題について、個人が出来ることはないと考えていたが、今は組織的問題は自分も含む普遍的な問題だとわかった。今後は自分の関わる組織のリスクについて、意見を主張しようと思う。
- これまで私は、原発事故は推進してきた政治家、電力業界の責任と考えていた。今は知ろうとせず、知っていながら黙っていた私たちにも責任があると思っている。これからは、簡単な言葉で事故のことを伝えられるように学習しようと思う。
- これまで私は、福島原発の事故の原因は特殊な状況や要因によるものと考えていた。今は、他人事ではなく、我が身にも起こりうるものだと考えている。今後はやらないといけないとわかっていることを先送りしないこととする。
- これまで私は、わかりやすく伝えるまでが専門家の責任と考えていた。今は、伝えられる側が分からないことを発信する事が大切だと気づいた。そこで、自分が持っている違和感や疑問点を大事に扱うことにする。