210601 慶応義塾大学SFC「日本研究概論」

  • 210601 慶応義塾大学SFC「日本研究概論」に参上しました。SFCに講義でお邪魔するのは初&リモート参上。20人ほどの学生さんとで私たちが生きる社会の一断面を垣間見る時間をお供しました。貴重な機会を賜わり、感涙の巻。ありがとうございます。写真はいたただいた感想(但し個人情報は伏字)です。地味にしつこい匍匐前進の一コマ。以下一部です。
SFC感想
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  • コミカルさを取り入れた授業はとても聞きやすかったのですが、設定等の準備時間で少し間延びした印象を受けました。
  • キャッチーな演出は勿論のこと、ロールプレイングの要素が随所にあり、現状や、社会を縦割りした各階層がどう考えるのかについて、体験を通して理解することが出来ました。と同時に、VUCAの時代を見据え「なりゆきの社会」から「なりたい社会」へ努力することは、成熟した日本という国にとって本当に難しいことだとも痛感致しました。
  • 自己革新が目的であればたとえ成果がどれほど小さくてもそれをやるに値する。
  • 人災という名のもとで、責任者を処罰し、解雇し、人々の不満や不安を沈ませることは簡単ですが、無責任であり、福島のように大きな規模の被害が広がる可能性が高いです。国家及び社会システムの根本に散在し、腐敗している根本的な問題を見ないフリをすることは、日本のこれからの成長の大きな妨害物であり、国民の安全まで脅かす存在だとわかるようになりました。
  • 日本という国は、新興国と比べ物質的には豊かな国です。しかし、硬直している社会の仕組みに精神的に疲弊を感じる時があります。すぐにこの社会の仕組みを変えることは難しいかもしれませんが、なぜ精神的に疲れてしまうのかなど、現在の社会構造に対し疑問を周りと共有することを始めようと思います。そして、将来の職業選択において、その疑問を取り除ける場所を選ぼうと考えます。
  • 事故調の調査結果に基づく,その後の対応が進まないのは,問題が起こっても,なあなあで済ませてしまう日本人の悪い特性が顕在化した最たる例だったのかも知れません。何度も繰り返し災害に見舞われて,その度に前を向いて乗り越えざるを得なかった風土が,終わったことは仕方ないと考える土台にあるような気がします。
  • AO入試方式を利用して入学したが今回の講義でその時の熱い志を思い出した。
  • 国政が、国会事故調の結果報告を軽視するのは、なぜなのだろうか。それはおそらく、震災を自分ごととして考えていないからであろう。さらに言えば、震災をどう利用するか、ということを考えているからであろう。利用価値がないのなら切り離すだろうし、利用価値があるのなら積極的に活用するはずだろう。だとすれば、原発事故が起きたのは、人の振る舞いが原因なのではないだろうか。
  • 私もバイト先で絶対に私の発言が合っているのに、、と思うことがあります。バイトでこれなら社会に出たらもっとできないなと思いました。今の日本はどの問題にも見て見ぬ振りが多いと思います。
  • 考えさせられる内容でした。福島原発の分かりやすい解説もありがたかったです。そして日本の腐り落ちている根っこに触れたことに感動を覚えました。
  • 将来どこかの組織で働くことを想像してみたのですが、やはり大和田常務に立ち向かうことはできないと思います。家庭を持っているのであれば、なおさらです。空気を読むことで自身の生活を守ることができるならば、迷うことなく空気を読みます。「個人の沈黙が、結果的に組織を悪い方向に導く」という共通認識がありながらも、その場しのぎで空気を読むというのが、集団で働くということなのでしょうか。組織が悪い方向にいくというのは、そこで働く個人が不利益を被るということにつながるはずですが、黙ることしかできない将来の自分にやるせなさを抱きます。
  • 今回の講義では、ワークショップ形式で自分が様々な立場に立って考える内容が多かったことから、普段意識しない形で様々なテーマについて考えることができた。様々な工夫を盛り込んだ講義はわかりやすく実感的なものであり、多くの日本の人々に対して広く実施すべきものであると感じた。