2016年4月24日 黒川清先生著「規制の虜」北海道新聞書評

北海道新聞書評。黒川清先生著「規制の虜」についての書評の中で、「わかりやすいプロジェクト」が取り組んだPJ名「次世代プロジェクト」(2015年1月~3月)で策定した「共同コメント」(2015年3月8日付)が着目されています。

民主主義の弱さ 痛烈批判

 東京電力福島第1原発事故に関する「国会事故調査委員会(国会事故調)」は、著者以下10人の専門委員で構成された「日本憲政史上最初の組織」である。
このような調査組織は、これまで行政(官僚組織)とその人脈による学者に依存するのが通弊だ。が、医師として長い在米経験と幅広い国際活動をしてきた著者の主張で、国権の最高機関・国会に独立した調査機関をつくった。その意味は大きい。
1167人、延べ900時間にわたるヒアリングによって、「事故は人災である」「地震による原子炉の損傷はないとは、確定的にはいえない」と結論づけた。これは政府事故調や東電事故調の津波説や「想定外」などの責任逃れの結論とは、明白に対立している。
東電が国会事故調を妨害した例でよく知られているのは、福島原発1号機の非常用原子炉冷却装置が、津波の前に地震によって破損されていたのでは、との疑問から委員が調査しようとしたのにたいして、東電側が「現場は真っ暗で転落の恐れもあり危険」と案内を拒否した。
ところがあとで現場はある程度明るく、照明器具もあった、と判明した。「虚偽の説明で調査妨害をしたと疑われてもしかたない」と著者は批判する。
この委員会を組織するとき、著者は「国民、未来、世界の三つのキーワード」を考えた。「過ちから未来へ、事故を世界と共有する」。事故を率直に受け止めない政府への絶望感は、列車の脱線転覆事故を列車ごと地中に埋めて隠そうとした中国の例になぞらえている。
標題の「規制の虜(とりこ)」とは、規制するものが規制されるものにとりこまれてしまう意味で、例えば旧原子力安全・保安院が電力会社の利益を優先し、国民を犠牲にすることなどへの批判である。
著者の日本の民主主義の弱さへの、歯ぎしりするような批判が全編を貫いてラジカルである。同質の集団主義的美学からどう脱却するのか。巻末に高校生の「次世代プロジェクト」が紹介されているのが希望である。

同3月10日第12回原子力委員会定例会議ページをご参照ください

http://www.aec.go.jp/…/teirei/siryo2015/siryo12/siryo2-6.pdf

著者の日本の民主主義の弱さへの、歯ぎしりするような批判が全編を貫いてラジカルである。同質の集団主義的美学からどう脱却するのか。巻末に高校生の「次世代プロジェクト」が紹介されているのが希望である

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